津軽と南部は本当に仲が悪いのか?

2020年3月19日

 

群馬VS栃木、埼玉VS千葉など県同士の争いというかVSネタというのは数多くあり、月曜から夜ふかしやケンミンショーなどのバラエティー番組などでも取り上げられています。

しかしここ青森県では県同士ではなく、青森県内同士のVSネタというのがあるのです。

それが津軽VS南部です。※もしくは弘前VS八戸

トップ画像の人は左が津軽為信、右が南部信直です。

津軽家家紋
南部家家紋

青森県西部:津軽地方と青森県東部:南部地方というのは昔から現在まで「仲が悪い」言われてきました。

そう言われるようになった大きな理由は戦国時代にまで遡り、南部家から独立した大浦為信(後の津軽為信)が原因とされています。

その後、明治初期に青森県が成立するまで津軽と南部の犬猿の仲は続いたそうです。

しかし現在はどうでしょう。

確かに方言や文化には違いがありますが、本当に今も津軽と南部は仲が悪いでしょうか?

私はそうは思いません。

その軽と南部(弘前と八戸)が仲が悪いと言われている理由現在はどうなのか?をここでは書いていきたいと思います。




 

津軽と南部は仲が悪いと言われた理由

津軽と南部が仲が悪いといわれている理由は大きく二つあると思います。

津軽と南部が仲が悪い理由
・歴史的要因
・地理的要因

歴史的要因

まず歴史的要因ですが、津軽と南部の仲が悪くなった理由として有名なのが津軽の裏切り

戦国時代、青森県を統一していたのが三戸城を拠点としていた南部家。

その南部家に仕えていた大浦為信(津軽為信)が、南部家の跡継ぎ争いに乗じて石川城を攻め落とし南部家を独立したのが全ての始まりです。

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アス・パム男

ここから仲が悪くなったといっても過言じゃないね。

確かにこの一件で南部側からすれば「津軽は裏切り者」と思うかもしれません。

ですが面白い事にこの独立した大浦為信は南部地域(久慈)出身という説もあるのです。※諸説あり

また南部家内では跡継ぎを巡って南部家当主南部晴政と養子の南部信直(後の南部家当主)が争っており、南部晴政が信直の父である石川城当主石川高信を攻めるよう為信に指示したって説もあります。※諸説あり

まぁ何がともあれこの大浦為信の独立が、津軽と南部の対立を引き起こしたということです。

その後南部領内では「九戸政実の乱」というのも発生しており、当時の南部家はかなりゴタゴタしていたとも言えます。

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アス・パム男

じゃあ最初から仲が悪いわけではなかったんだね。
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UOTO

元を辿れば同じ南部家の一員です。
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アス・パム男

じゃあなんで仲良くなれなかったのかな?
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UOTO

それが次に説明する地理的要因が考えられます。

 

地理的要因

青森県は中央に八甲田山がそびえ両地域は分断されていて、特産品や方言も津軽と南部では全く違い、その境界線も綺麗に野辺地町と平内町で分かれています。※画像が藩境塚

当時はここで津軽藩・南部藩と分かれていた
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アス・パム男

祭りも津軽と南部では全く違うよね。
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UOTO

津軽はねぶた・ねぷた系に対して南部は三社大祭のような山車系ですね。

現在でも高速道路が青森・弘前(津軽)方面は東北道、八戸(南部)方面は八戸道と分かれていて、両地域を行き来するアクセスというのはかなり悪いのです。

交通が未発達の当時はなおさらで、お互いの文化が交わらなかったと考えられます。

交流がないということは八甲田山の向こう側の人の事まで分かりません。

この八甲田山を境に地域が分断されているがために交流がなく、津軽と南部の仲が改善されなかったのではと思います。

また両地域の庶民は交流がないために上に立つ藩主や領主からの情報しか頼れず、為信が裏切った過去の歴史もあり「あっちの人は悪い奴だ」と仕組まれてしまったのではないかと思います。※あくまでも憶測です

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アス・パム男

確かに藩も分かれていたから交流が少なかったのかもね。

ここまで綺麗に分断されている県もなかなかないかと思います。

他にも津軽と南部には性格的な違いもあり、津軽人は「派手好きで気さく」という性格に対し、南部人は「地味で人見知り」という性格です。

この性格の違いというのも当時対立が進んだ原因かもしれませんね。

 

津軽と南部の現在

もちろん津軽と南部が対立していたのは過去の話なので、今現在は仲が悪くありません。

しかし一部の過激派や面白可笑しくしようとする出版社・メディアがネタとして取り上げていて、あたかも現在も仲が悪いみたいな書き方をする本もあります。

でも本当に仲が悪かったら青森県として機能してませんよね。

ただ広い県だし、津軽(弘前地域)と南部(八戸地域)では文化も違うため多少の意見的な対立はあるかもしれません。

例えば県立施設の建設問題

「津軽には県立施設が多いのに、南部には少ない」みたいなことを言う人もいるんです。

でもこれに関してはどこの県でも一緒で、県が広かったり文化圏が違うと必ず言う人がでてきます。

県立施設というのは国立施設の次に大きなお金が動くので、やっぱりどこの地域も欲しい物なのです。

他には八戸市の岩手併合問題

八戸市の一部議員やネットでは「同じ南部繋がりの岩手県と一緒になろう」みたいなのが昔ありました。

しかし八戸市と岩手県は同じ南部とは言われているものの、文化圏は異なり、また過去記事にも書いた南部煎餅問題というのもあります。

しかも岩手県側からすると三戸城(現在の青森県三戸町)を拠点としていた南部氏に侵攻された過去もありますので、まぁネタでしょうが現実的ではなく、もしそうしたいなら八戸市を県庁として岩手県北を取り込んだ新たな県を作った方が文化圏的にはしっくりくるかと思います。

あとこれは何かの本でもネタにされていましたが、青森県人に出身地を聞くとただ単に「青森です」とは言わずに「青森県の八戸です」とか「青森県の弘前です」と必ず県名+地名が出てきます。

もちろん他の県でもあるとは思いますが、青森県人はこうやって県名と地名を分ける人が多いそうです。

これは青森県という一つのくくりが嫌だという地域愛の表れなのか、「弘前もしくは八戸と一緒にされたくない」という対立の表れなのか分かりませんが、こういった特徴があるそうです。

でも普通に暮らしている人たちは津軽と南部の対立なんて考えてもいないし、現在も対立があったとしたら津軽で生まれ、南部で暮らしている私は今頃打ち首です(笑)

この津軽と南部の対立というのは過去のもので、「現在も対立が続く」というのは誰かが作った面白ネタという事なのです。

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UOTO

月曜から夜ふかしとかケンミンショーとかのね。

 

津軽と南部の対立があったから青森県は魅力的

これほどまでに歴史や文化が複雑な県は他にないと思います。

これにプラスして下北地域(旧斗南藩)も入ってくるのでさらに複雑になります。※斗南藩は会津文化が入っています

方言であれば、津軽弁・南部弁・下北弁と3種類あり、食や祭りも津軽と南部ではハッキリ雰囲気が変わります。

それこそが青森県の魅力的なところなのかもしれません。※実際、国内旅行者・インバウンド客かなり増えてます

本来であれば時代と共に文化は混じり薄れていきます。※東京(江戸文化)とか特に

しかし青森県は過去に津軽と南部の対立があったからこそ、互いに違った方言・食・祭りなどの文化圏を現在まで保ち、今となっては観光客に喜ばれるような魅力的な観光資源となっているのです。

また高校野球でも津軽の青森山田(青森市)・聖愛(弘前市)と南部の八戸学院光星(八戸市)のどこが優勝するかでも盛り上がったりもします。

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UOTO

たまに違う高校が優勝しますが注目されるのはこの3校ですね。

ライバル心があるからこそ盛り上がるのかもしれません。

観光客側から見ても津軽と南部そして下北を行き来すれば、一つの県を観光しているはずなのに違う県に来たかのような気分を味わえるかも?

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アス・パム男

一度で三度美味しいみたいなね。

青森県を観光する際はこの津軽と南部の文化の違いというのも楽しんでもらえればと思います。

何回もいいますが今現在は対立なんてないので、安心して津軽地域と南部地域を楽しんでください(笑)




UOTO

UOTO(うおと)青森県在住の31歳。

【青森のブロガー】を目標に、大好きな青森県で頑張っています。
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