津軽と南部の境界線『藩境塚』に行ってきた

異なる文化を築き上げ、今の青森県を作り上げた津軽藩と南部藩。

その2つの藩の境界となっていた場所が今も残されています。

それが野辺地町と平内町の境界線に存在する藩境塚(県史跡)』

当時はここに番所が設置され、通行人や物資の出入りを取り締まっていたそうです。

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つまりここが今も昔も津軽と南部の境目です!

何百回と素通りしていましたが、先日初めて散策してみました。

津軽と南部についてはこちらで↓

 



津軽藩と南部藩の境界線:藩境塚に行ってきた

津軽藩と南部藩の境界である藩境塚は国道4号線沿いにあります。

大きな看板などはないので、素通りする人のほうが多そうです。

駐車場には『馬門御番所』という名のトイレがあります。※冬季封鎖

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昔はこういった番所があったよってことでしょうね。

 

駐車場脇の坂を下っていくと見えてくるのが、古墳のような4つの大きな塚。

こちらが『藩境塚』と呼ばれる場所になります。

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直径は約10m、高さ3.5mほどで結構大きいです。

小さい川(二本又川)を挟む形で2つずつ塚があり、別名『四ツ森』とも呼ばれているそうです。

真ん中の川が二本松川
南部領
津軽領
右が南部領、左が津軽領

藩境と言えば、番所+木札みたいなイメージがありますが、なぜか大きな塚。

理由は不明ですが、津軽と南部の確執が相当なものだったとも考えられます。

実際に津軽藩領狩場沢村と南部藩領馬門村では、山の伐採などを巡る村同士の争いもあったそうです。

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木札だと廃藩置県の時に壊されていますが、塚だったことから壊されずに残っているみたい。

当時は今みたいに山を通ったりできなかったと思うので、津軽と南部の行き来はここしかなく、通る人は相当厳しく取り締まられていた事でしょう。

国道4号線は昔の奥州街道

実際に駐車場にある高札には、『南部の特産品を手形なく持ち出すことを禁ず』的なことが書かれてあります。

 

作られた年代は不明とのことですが、県のホームページによると、

塚の築造年代について、津軽の正保2年(1645)の国絵図には藩境塚が記されているのに対し、南部の正保4年(1647)のそれには記されていない。これは文禄4年(1595)、平内が津軽領になったことに対するわだかまりのためと思われる。少なくとも正保年代以前から築かれていたとみてよいだろう。
引用:青森県ホームページ

と書いてあるので、恐らく安土桃山時代後半~江戸時代初期頃に作られた可能性もあり、かなり歴史のある藩境塚だってことが分かります。

 

見どころとしてはこのくらいでしょうか?

現在は小さい公園として整備されており、ちょっと海遊びができそうな海岸もあります。

遊んでいいかは分かりません・・・



青森の藩境塚にぜひ立ち寄ってみては?

駐車場から望む

藩境って呼ばれる場所は全国各地にありますが、4つの大きな塚で隔てられているのは珍しいかと思います。

それだけ当時の津軽藩と南部藩は犬猿の仲だったのでしょう。

しかしそういった確執と厳しい取り締まりがあったからこそ、今現在も津軽と南部の異なる文化が残っていることも忘れてはいけません。

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現在でもここを境に方言や文化が違います!

見どころとしては大きな塚があるくらいですが、駐車場で休憩がてら立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

藩境塚
場所
野辺地町と平内町の境界
駐車場
あり ※冬季閉鎖




UOTO

UOTO(うおと)青森県在住の31歳。

【青森のブロガー】を目標に、大好きな青森県で頑張っています。
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