弘前の隠れスポット『弘前東照宮本殿』【色々あって注目されなくなった?】
“東照宮”と聞くと最初に思い浮かべるのが、栃木県の【日光東照宮】。
徳川初代将軍:徳川家康を御祭神に祭った神社になります。
実は弘前市にも『弘前東照宮』という神社があったのはご存じでしたか?
今は色々あって本殿しかありませんが、国指定重要文化財なのにあまり注目されていない弘前市の隠れスポットです。
隠れスポット『弘前東照宮本殿』
以前から弘前東照宮の存在は知っていましたが、今まで訪れる機会を逃していました。
2022年4月、さくらまつりを見学するついでに寄ってみることに。
途中大きな案内板もなく少し迷いましたが、土淵川を目印に探して何とか発見。

こちらが『弘前東照宮本殿』です。

綺麗な公園の中にぽつんと建っています。
イメージしていたような豪華さはありませんが、歴史を感じる建造物です。
細部の彫刻や主体部の構造形式などに、桃山時代の建築技術が生かされているらしいです。

・・・でもなんだろう、建物は立派なんだけど、あまり神聖な感じがしない。
住宅街の中だからか、周りに木が少ないからか・・・。

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なぜ弘前に東照宮が?
そもそも、なぜ弘前市に東照宮があるのかって話ですが、徳川家康を祀る“東照宮”自体は全国各地にあります。
数多くある東照宮の中でも『弘前東照宮』は、全国的に見て最も早い時期:1617年に勧請(離れた場所にいる神や仏を迎えること)されたものです。
東照宮は、元和3年(1617年)二代藩主信枚が弘前城本丸に勧請、寛永元年(1624年)現在地に移された。この本殿は、寛永五年に建立されたものである。
引用:弘前市
弘前に東照宮がある理由としては、津軽信枚(津軽藩2代目藩主)の正室:満天姫(まてひめ)が徳川家康の養女であったことが関係しているようです。
当初、福島正之に嫁いだ満天姫でしたが、色々あったのちに南光坊天海の進言で津軽信枚に再嫁。
徳川家康がすでに正室のいる津軽信枚に満天姫を嫁がせたのは、津軽・南部・伊達の監視という意味もあったようです。
話が逸れましたが、ともかく家康の養女である満天姫の影響力もあり、全国に先駆けて東照宮が勧請されたのではないかと言われています。

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なぜ注目されないのか?
全国に先駆けて勧請され、しかも国指定重要文化財でもある弘前東照宮本殿ですが、意外にも注目されていない印象です。
るるぶなどの観光雑誌でも触れられていませんし、大きな案内板もありません。

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その注目されない理由として挙げられるのが、2012年の弘前東照宮を所有する宗教法人の破産。
結婚式場の経営に行き詰まり、多額の負債を抱えたのが破産の原因と言われています。

その後周りの建物は壊されて、国指定重要文化財である本殿のみ残されることに・・・。
本殿は弘前市が取得しましたが、政教分離(政治と宗教の結びつきを切ること)の観点から、御祭神は黒石神社に移されているようです。
運営元が破産したことや御祭神が移されて“本殿はあるけど神様がいない”ってことで、あまり注目を浴びていないのではないかと思います。

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ちなみに東照宮の御朱印は、黒石神社で貰うことができるそうです。
弘前の隠れスポット『弘前東照宮 本殿』を訪れてみては?
この記事では、弘前東照宮本殿を“隠れスポット”としていますが、決して隠れているわけではありません。
ただ観光客に目立たないような住宅街の中にあり、本殿のみポツンと建っている。
観光シーズンの真っ昼間にもかかわらず、誰も訪れていない。
そして周りが公園になっているためか、パワースポット感もない・・・。
全国に先駆けて勧請されたという歴史があるのに、所有法人が破産して建物が壊され、本殿だけ残し「寂しさだけが漂っている」って意味での隠れスポットです。
御祭神はありませんが、本殿自体は国指定重要文化財なので、興味がある方は弘前東照宮本殿を訪れてみてはいかがでしょうか?
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